Concept
絶滅危惧種と言えば、多くの人々はトキやパンダ、ゾウなどを連想する。日本国内においても、オオサンショウウオやイリオモテヤマネコなど、有名な絶滅危惧種の生物が数多知られている。しかし、日本に生息する絶滅危惧種は、そんなメジャーなもの達ばかりではない。それらよりも遙かに小さく、遙かに人間にとって身近な所にいて、それゆえ遙かにこの世から消え失せそうな絶滅危惧種が山のようにいることを、ほとんどの日本人は知らずに生きている。
環境庁(現・環境省)は、1986年から国内の「絶滅が危ぶまれる生物種の現状」を把握する調査を行いリスト化(レッドリスト)し、1991年に財団法人自然環境研究センターから「日本の絶滅のおそれのある野生生物 」(通称レッドデータブック)を発行した。この書籍化は、絶滅危惧種の保護対策、開発行為を行う際の環境アセスメントへの活用、一般市民への周知・啓発を目的になされたものである。レッドリスト作成に当たっては、各生物分類群の専門家が複数集まって情報を交換しつつ種の選定を行い、その内容は数年おきに改定されている。昆虫の場合、1991年に最初に発行されて以後、2000年、2007年、2012年の3回にわたり大改定が行われてきた。改定のたびに掲載種数は増大しており、昆虫に関しては最新の2012年度時点で868種にも登る。近年では、国のレッドリストにならい各都道府県レベルでもレッドリストが作成され、その情報に基づいて、国や自治体が多くの希少生物の保護活動を進めている。それ自体は実に素晴らしいことである。
しかし一方で、こうした希少生物の保護活動には、数々の問題も指摘されている。その一つがルッキズム(実際にどれほど危機的状況にあるかは考慮されず、とにかく外見が優美で体の大きな生物ばかり優先的に保護されやすい)だ。昆虫で言えば、各地自治体などで「大切に守りましょう」といっておんぶに抱っこで保全・保護活動がなされがちなものは、綺麗なチョウやトンボ、ホタルや大型の甲虫などばかり。しかし、現在環境省のレッドリストに掲載されている昆虫868種のうち、チョウとトンボと大型甲虫(カブトムシ・クワガタムシなど)を合わせた数は、せいぜい160-170種程度。残りの700種近くは、見るからにどうでもいいような風貌のハエやカ、ハチにアリ、カメムシ、ハナクソサイズの甲虫といった、小さくて地味な虫だ。これら地味な虫の中には、下手なチョウやトンボよりずっと絶滅の危険性が高い種も少なくないが、何しろ彼らは地味なので、保護の御輿に担ぎ上げられることはない。絶滅寸前だからといって、別に可愛げもなく観光の客寄せにも使えないハエやカなど、どこの地方自治体もわざわざ予算を組んだり保護団体を立ち上げるなどして保護したがらないのは当然である。したがって、世間でそれら虫達が話題にされることもないため、結果として日本国民の大半は絶滅危惧の地味な虫の存在など、知るよしもなく生きている。そして、彼らの生息地たる雑木林や草原、湿地に海岸は、日々埋め立てられて道路やらメガソーラーやらに置き換わっているのが現状だ。
絶滅危惧の地味な虫達の「扱いの軽さ」は、他ならぬ環境省レッドデータブックそのものにも見え隠れしている。レッドデータブック刊行目的の一つに、「一般市民への普及・啓発」というのが掲げられている。だが、いざレッドデータブック昆虫編を紐解いてみれば、内容の大半は小難しい専門用語をちりばめた文章ばかりで、実物の生き物の写真が載っているページが冒頭の2-3ページのみしかない。しかも、そこに載っているものの大半は、チョウやトンボや大型甲虫。今日び、その辺の本屋や図書館で図鑑を見れば載っているような虫だ。
一方でゴミアシナガサシガメやらコウライピソンやら、その筋の専門家しか存在を知らないような虫の解説「だけ」は沢山載っているが、それらの実物写真はろくずっぽ載せられていない。インターネットで画像検索したって、一件も画像が出てこないものが大半だ。正直なところ、その種をレッドリストに入れるよう提案した専門家ただ一人以外、誰もそんなもん知りもしないし見たこともないのでは、としか思えない種も少なくない。そういうものこそ、優先的に(個体の生死は問わず)現物写真を載せることが、本来のレッドデータブックのあるべき姿ではないかと、私は思うのだが。正体も分からない亡霊を「これは希少です、予算を組んで保護事業を立ち上げましょう」と言われて、はいそうしましょうと納得するお人好しが、この国にそこまで多いとはとてもじゃないが思えない。今の環境省レッドデータブックは、専門知識を持たない層の人々には、さぞ無機質で奇怪な読み物に思えることだろう。現に、このウン十年間そこそこ昆虫学に慣れ親しんできたつもりの私にとってすら、無機質で奇怪な読み物に思えるのだから。
小学生の頃、図書館から借りてきたとある生き物の飼い方辞典の巻末に、付録として環境省レッドリストの掲載動物種一覧(脊椎・無脊椎動物含む)が載っていた。私にとってそれが初めて見るレッドリストとなったが、そこには聞いたこともない虫の名前のみがずらっと並んでいた。何だイバリアリって?ハナナガアリとはどんな顔したアリだ?当時の私には皆目見当もつかなかったし、今でもどんな外見をしているのかすら想像もつかないレッドリスト掲載種の虫は少なくない。
私はいずれ、どこかのエラい学者(それこそ、環境省レッドリストを編集している委員の方々そのもの)が、私のようなムシのムの字も知らない庶民らのために、文字ばっかりではなくてビジュアルにうったえるような、わかりやすいレッドリスト昆虫図鑑みたいなものを作ってくださるに違いないと思い、ここ20年くらい様子を見ていた。しかし、時は流れて2018年、今なお誰一人そんなもん作る気配すらない(正確には二つ三つくらい作られたが、私が把握している限りそれらは白黒イラストばかりで現物写真がほとんどなかったり、チョウやトンボばっかり載っているやつ)。だから、ついに業を煮やして、自分で作ることにした。ゴミムシやガやハエやアリ、クモやゲジゲジの絶滅危惧種以外出入り禁止のユートピアを。
私はこの十数年にわたり、自身のメインテーマたる「アリの巣に居候する生物」の研究の傍ら、個人的に絶滅危惧種の目立たない虫の数々を各地で探し回るとともに、それらの知られざる生態の一部を垣間見続けてきた。そして2018年、私はその成果の一部を書籍化し、「絶滅危惧の地味な虫たち」(ちくま新書)として出版した。本書はその筋たる昆虫の専門家に読ませることは意図しておらず、虫の事を知らないし興味もない非研究者の人々に読んで頂きたい思いで上梓したものである。結果、私の知る限り多くの読者の皆様から、内容に関して好評を頂いた。その一方、本書は新書というスタイル上、掲載種数は自ずと限られたものとなった。また、掲載写真をあまり大きく載せられず、またその大半をモノクロで掲載せざるを得ない事情もあった(電子版を除く)。
そこで、もっと多くの絶滅危惧種を、もっと大きな写真で誰でも閲覧できるようにできないものかと考えた結果、HPを作るのが手っ取り早いと考え、ここに開設することにした次第である。
長々と書いたが、簡潔にまとめれば
「国が絶滅危惧種に決めたムシの生きた姿の写真くらい、いつでもまとめて閲覧できる場所を作っておきましょうよ。誰もやらんなら俺が勝手にやる」ということである。
中高生向けの小説で「デート・ア・ライブ」(橘公司作、富士見ファンタジア文庫)という作品がある。近未来の世界を舞台に、異次元から人類の脅威たる謎の生物「精霊」が突如出現するという内容だ。彼女らは異次元からこちらの世界へと時空を歪めて出現する際、甚大な爆発を起こす危険な存在のため、人類は問答無用で精霊を敵と見なし、躍起になって精霊を退治しようとする。精霊の正体、出現理由などは不明だが、とにかく彼女らの出現は人類にとって物質的・人命的な損害と同義のため、人類は条件反射的に精霊を殺すことを悲願としてきた、という世界観の下でストーリーが展開する。
私はこの小説に、年甲斐もなく感化された。それは、本作に登場する精霊という存在の設定が、地味な絶滅危惧種の虫と、いくつかの点で酷似していることによる。(この辺の話は、「絶滅危惧の地味な虫たち」を参照のこと)。そうした事から、本HPにおいては地味な絶滅危惧種の虫の事を「精霊」と呼称している。
※本HPでは、最新版環境省レッドリストに掲載されている昆虫類(チョウ類、トンボ類、クワガタムシ・カブトムシ等の有名大型甲虫を除く)、クモガタ類、多足類、甲殻類の一部のうち、私が実際に野外で現物に遭遇し撮影できたものに関して、その生体の写真を掲載している。ただし、ここで言う「大型甲虫」の定義付けに関しては、私の独断が多聞に反映されていることを記しておきたい。
※写真は原則として、私が野外で見つけた彼らの様を、そのまま撮影している。本HP上の写真には一部、協力者により捕獲された個体のものが含まれる。それらは全て、生息地における私の再三の探索努力にも関わらず、自身での発見が叶わなかったものである。
※本HPの開設は、「この国には如何に知られざる絶滅危惧種が多数生息しているか」「そしてそれらが如何に我々の身近な場所に息づいているか」を一般市民に理解していただく事を意図している。反面、価値観が多様化し、生物・無生物の別なく万物に対して金銭的価値を見出す人間がいるかも知れない昨今、本HPが一部の虫マニアの射幸心を煽り、みだりな希少種乱獲の手引きとなることは避けねばならない。そのため、原則として「国内における分布域・生息域が極めて狭い」「発見・捕獲が容易で、生息地に行けば誰もが必ず複数個体を得られる」「一部マニアの人気が著しく高い」と判断できる種に関しては、掲載していない。これらに関しては書籍等、別の手段で近未来のうちに世に発表したいと考えている。
※本HP上で紹介された種に関する、具体的な撮影地点等の情報についての問い合わせは、保護の観点により基本的に受け付けない。既に別媒体により、生息地情報を付随して発表した写真も一部あるが、わざわざ改めてここにその情報を記さない。また、環境写真は必ずしも撮影個体に遭遇した地点のものとは限らないことに留意されたい。
※環境省の最新版レッドリストにおいて、真に「絶滅危惧種」と呼ぶべき種は絶滅危惧Ⅱ類以上のランクに属すものとされ、情報不足および準絶滅危惧カテゴリーの種を本来は絶滅危惧種と呼ばない。しかし、そうした低ランクの種こそ今後の動向を注視し、情報を収集すべきという著者の考えにより、本HPではレッドリスト掲載種すべてを絶滅危惧種として扱う。
最新版環境省レッドリストにおけるカテゴリー区分 (環境省 2017)
絶滅 (EX) 我が国ではすでに絶滅したと考えられる種
野生絶滅 (EW) 飼育・栽培下、あるいは自然分布域の明らかに外側で野生化した状態でのみ存続している種
絶滅危惧ⅠA類(CR) ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの
絶滅危惧ⅠB類(EN) ⅠA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの
絶滅危惧Ⅱ類 (VU) 絶滅の危険が増大している種
準絶滅危惧 (NT) 現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種
情報不足(DD)評価するだけの情報が不足している種
絶滅のおそれのある地域個体群 (LP) 地域的に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いもの
注:クモガタ類、多足類などに関しては、絶滅危惧Ⅰ類をA-B類に分けない。